寺café 〜momento 瞬間〜 終わり からの 始まり

寺café から2週間。

ようやく風の旅を終え
魔法の絨毯を地上に降ろしてもらったかのようです。

終わればさびしいものですが
残った感覚は
とても長く
とても温かく
いまだに包み込んでくれています。

寺caféを始めて6年。
桜に集えるなにかを考えたときに
始まった開花期間に合わせたお抹茶。

月日は流れ
ひとつひとつの出会いが
糸を紡ぐように
繫がり広がっていきました。

わたしはどうして寺caféをするのか。
自分にはいったい何ができるのか。
自分っていったい何を求め何を大切にしているのか。

お正月明けてから特にこの3ヶ月、
この問いを問い続けていました。

『本来、時には過去や未来はありません。
あるのは永遠の今だけです。
だから、素晴らしい人生の創造とは
”今をあなたらしく精一杯に生きる”
に尽きるのです。』
(船戸クリニック院長)

あなたらしく精一杯生きているつもりでも、
人生の生き方を間違えることだってあり、
心の捉え方を都合の良いように
感じ取ってしまうこともあります。

そんなとき
何度も何度もヨガをします。

無心に呼吸だけを繰り返します。

答えというものは
見つからないとしても
認識することや
識別することが
その時訪れたりします。

すぐにまた ”私” に戻ってしまうことがほとんどですが
いいもわるいもどちらでもない
自分に出会えたとき
その感覚は永遠に忘れることのない安心へと変わっていくことに
小さな自信をもてるようになってきました。

気持ちよく仕事をしていこうとするとき、
私に振り回されてしまうのは
当たり前ですがとても苦しいことです。

それでも心に残る仕事をしたいと思うとき、
何度も何度も呼吸に集中し
自問を繰り返します。

”我という意識を捨てたときにもたらされる物事の真実の姿”
むずかしいのですが、
大枠を進めたのは自分たちだとしても、
あとは大きな力、場の力に任せていく。

今年の寺caféを振り返ったとき

その紡がれていく場の空気に
その一瞬一瞬の輝きに時の流れに
眩い光の連鎖を感じ
愛おしい思いで満たされていきました。

自らを他人の評価ではなく
評価できたと思える瞬間。
6年目にして感じれた気がします。

来ていただきました皆さま
来れなかったけれど
遠く気持ちを寄せていただいていた皆さま

多大なる力をかしていただきました出展者の皆さま
スタッフ、家族。

場があり
人が集まり
歴史とともに今を生きる桜があって
生まれる時間に空間です。

どうか皆さまの心にひと時の光が差し込み
その一瞬の美しさが
自らもたらした永遠の平和の灯火となりますうに
と願いを込めて。

ありがとうございました。
2016年4月7日

終わり は 始まり。
次へ進みます。


























精霊の聖なる木
その大きな傘の下に
包まれて...◯

(写真は皆さんからいただいたものです)


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