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修行の日々での気づき Vol.4 最終回

私が典座(禅寺の台所)に立つようになってからある日のこと、いつも恐い顔をされている方が、典座寮に入ってきたなり、 「今日の飯は岩水か?!美味かったぞ!」 とおっしゃいました。 またある日のこと、これは私が当時の御住職、斎主老師のお付きでお昼をご一緒させていただいた際、その時は西堂老師(可睡斎で次に位の高い方)とそのお付きの方も一緒だったのですが、斎主老師が 「ご飯が美味しいなぁ。」 とおっしゃったのです。   僧堂というのは縦社会で年功序列が色濃く残る場でもあります。私は日々緊張状態の中で典座寮に入りながら、修行僧が少なくなったときは、ご住職のお付き人、また毎日変わる配役もこなすという2役、3役を忙しなくこなしていたので、ふとそんな一言をいただいた時は、縦社会が一瞬場が緩んで、横社会の平等さを感じていました。 僧堂の基本的な食事は、黙って一つ一つの所作を重んじ、丁寧に味わい命を頂戴するというのが基本ですが、美味しいご飯ひとつでこんなにも人との関係は緩むものなのかと、もう一つの食の力を知りました。   典座寮は典座老師、修行僧から職員になられたお二人のお坊さんと修行僧の4人にアルバイトの女性の方が10名います。大きな観光寺院でもあるのでシーズンには精進料理膳の準備が大変です。小金山典座老師は 70 歳を過ぎた今も毎日たくさんのご飯を作られています。老師はご飯作りが大好きな方で、それは食材の扱い方からも伝わってきます。老師のご飯の中でも精進コロッケがとりわけ好きでしたが、揚げられる前のコロッケはバットにきちんと整列され一つ一つ老師の手で形を整えられた姿はとても愛らしかったです。食材もその時あるもので、じゃがいもや里芋、出汁で余った椎茸を煮つけたものが入っていたり、夏はとうもろこし、秋はえんどう豆入りと季節によって様々です。ふっくらと揚げられたコロッケはもう幾つでも食べられるくらいでした。そんな典座老師から教わったのは、喜心・老心・大心です。喜びをもって料理をする心、老婆が子にしてあげるようなおもてなしの心、そして分け隔てなく分け与える大きな心をもつという、典座教訓の三心です。この心を私は持ち帰ってきました。   道元禅師は典座の炊事という作務の中に真の仏道修行を見つけ精一杯生きることの必要性を典座教訓の中に普遍的メッセージとして説いています。この教訓をこれからも大切に日

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